新感覚なお店♪


新感覚なお店♪

新感覚なお店♪

インターネットのニュースを調べていると、面白い物を発見しました。

それは『自分で値段が付けられるラーメン店』です。

食べた人がそのまま自分で値段を付ける事が出来るのです。

場所は日テレ前の広場だそうですが…。

25日から一般の方も食べる事が出来るようになるそうです。

イベントとしての企画な為、本来はあり得ない事だと思います。

調査をした方のコメントでは、ラーメンはとても美味しかったそうです。

しかし厨房などで誰が作っているかなどはまだ明かされていません。

それが明かされるとようやく自分で値段を付ける事の意味が判るのかもしれません。

イベントだと判っていても、面白いと思ってしまいますね。

もしもこのようなお店が本当に各地に出店されるとなると…。

一体どれくらい繁盛するのかと疑問に思います。

ラーメンなどの材料費を考え、人件費を考えると…。

それなりに値段は必要になると思います。

例えば材料や人件費を入れて200円程度のラーメンを、600円前後販売していたとすると利益は400円になります。

しかし自分で値段を付けれる事にしてしまうと…。

材料費などの200円を切ってしまう事もあると思います。

もちろん材料費よりも安く値段を決められたとしても、文句は言えません。

私なら絶対にこのような商売をする勇気はありませんね。

お店を出しても3日程で潰れてしまうような気がします(^^;)

ですがもしも私がお客さんとして行く立場だった場合…。

1円や100円などのあり得ない金額を言う事は無いと思います。

多分ほとんどの方がそうなのではないかと思います。

本当にまずいラーメンや料理を出された場合には、怒ってあり得ない金額を言ってしまう事になると思いますが…。

本当に美味しいと思った物には、必ず良い値段を付けてしまうと思います。

今回のこの値段を付ける事が出来るラーメン屋さんは…。

よほどの自信があるラーメンを作っているという事でしょうか。

私もイベントに参加をしてみたいと思いますね。

料理が満足出来なければお金は要りませんと言うお店はありますが、最初から自分で値段を付ける事が出来ると言うシステムは初めてだと思います。

値段を付けた結果の最低料金と最高金額だけがとても気になってしまいます。

お腹痩せ

「忘れる」という才能

人間には「忘れる」という才能があります。人の記憶というのは薄れやすいものです。たとえば数年前に大きな交通事故が起きた交差点があります。はじめのうちはみんなそこを通る時、その事故のことを思い出してよく注意するわけです。子どもに口うるさくシートベルトのことやなんか注意したりしてね。ところが何年かたってみると、そういうことがあったことはおぼえていますけれど、最初の衝撃は薄らいでいますからそこまでの厳しいチェックや警戒はしなくなっているわけです。なんというか、人は過去にではなく未来に生きるということのあらわれでもありますから、たくましく前向きなことでもありますけれど、同時にさびしく恐ろしい事のようにもおもえてなりません。最初の決意や情熱がどんどんなくなっていって、気が付いたらなぁなぁになっているのも、これも「忘れる」才能のせいですね。

「忘れる」というのは健全なのか不健全なのか、危険なのか安全なのか。考えるとなかなか難しい問題ではあります。「忘れる」ことはうっかりミスにもつながりますから、重大な事故にもつながりかねず恐ろしい事でもあります。一方で、たとえば忘れることができなければ過去の過ちをいつまでもその日の事のように覚えていて、誰も許すことができないことにもつながるわけです。そうなると、どうでしょう。無駄ないがみ合いが増えるのではないでしょうか。争いを避けるためには忘れる才能はなかなかに重要なように思います。

死者についても同じです。たとえば誰かがなくなって、その恋人は悲しみます。二度と誰もその人以上には好きになれないんじゃないかと思ったりする。むしろ、死んだその人のためにも誰も好きになりたくないと思う。だってそんなの死んだ恋人に悪いじゃないですか。でも時間がたち、新しい人に出会い、あるいはそばにあった好意にふっと気が付いて、気が付けば他の誰かを好きになっている。私、これはいいことだと思うんですよね。だって他の誰かを好きになったら死んだその人を嫌いになるわけではないから。でもそれも第三者だから言えることなんでしょうね。

「忘れる」というのは人が生きていくためには重要な才能です。だから、その、うっかり忘れをした人間をあまり責めないでいただきたい、というのは忘れっぽい人間のいいわけです。